こんにちは、いきもです。 今回は、なぜ傾聴が有料で提供されているのか?ということについて話をしてみようと思います。
私もですね、わりと日常的に人の話を聞く、聞き役に回るということが多かったので、
傾聴をね、お金をかけてやってもらうということが、 なんでかなーっていう気持ちでした。
なんかね、
「なんでみんな無料で聞いてもらってるのに、私だけお金払わなきゃいけないんだろう」
みたいな、 そういうことを考えたことがあったので、
これについてちょっと今回話してみようかなと思ったので。
まずですね、傾聴が有料で提供されているのは、一つはですね、
傾聴スキルがある人って思っている以上に少ないからなんですね。
あなたが聞き役に慣れていたりすると、
「いや、別にそんなに少ないはずないでしょ」って思うかもしれないんですけど、
傾聴が誰にでもできるスキルだったら、いのちの電話がパンクして「誰も出ない」なんてことは起きないんですね。
だっていのちの電話って、確かに無料だけどハードル高すぎませんか?
・相手はどこの誰かもわからない人
・自分のような問題を抱えた人間に対してどう思っているかもわからない
・聞く力が十分ある人なのかもわからない)
・しかも電話(通話料かかるし)
そんなものでも藁をもすがる思いで電話をかける人がたくさんいるわけですよね。
まぁ、極端に言えば、だれだって話を「聞くだけ」ならできるんですけど、
・じっくり聞くとか
・感情に共感しながら聞くとか
・話をさえぎらずに聞くとか
・意見を挟まずに聞くとか
・話し手が満足するまで「聞ききる」とか
そういうことができる人はまれなんですね。
なんでかって、答えは一つで。
基本的に人間っていうのは、自分の話を聞いてほしい生き物だから。
小さい頃とかにお母さんとかお父さんに、
「今日ね、今日ね!」って学校であったことを話したりとかしますよね。
それが大人になるにつれて心を許せる人が減っていって、自分のために時間や労力を使ってくれる人が少なくなって、だんだん話せなくなっていくわけです。
でも、それで話したいこともなくなるかってそんなことはなくて。
むしろ大人になるほうが聞いてほしいことってたくさんあるんですよね。
ただ、他人から適当にあしらわれたり無視されたりという経験を踏んで、
「べつにこんなこと、他人からしたらどうでもいいことだよな」
と遠慮するようになったりするわけで。
自分の話を誰かに聞いてほしいっていう気持ちっていうのは、
やっぱり全ての人が持ってると思うんです。
だけど、それを
「言わないで我慢して黙っているのが美徳(大人)」
みたいになってるところもあるし。
そういう状態が続いてるから、日本のメンタル疾患って増え続けてるんじゃないかなって思ったりしてます。
話がずれました。
なんで傾聴が有料なのかって話でした。
一つはさっき上げたように、傾聴力をもつ人の希少性。
・聞いてもらう喜び
・聞いてもらえない悲しみ
この両方を経験として知ってないと、人の話を聞こうってなかなか思えなかったりします。
自分の話を聞いてもらえなくて悲しい経験がないと、相手の話をじっくり最後まで聞こうとなかなか思えなかったりするんですよね。
あと他に、
やっぱりサービスの継続だったりとか、責任っていうのがあるので、
・必要性(傾聴の社会的な必要性)
・重要性
・使命感
とかがないと、なかなか話を聞きづつけるっていう活動をし続けるっていうのは難しいんですよね。
いや、「お金払ってもらわなくても私やってるんですけど!!」って思う人は、
「思ってるんですけど」の後にちょっと「イラッ」が入ったりしません?
「私聞いてるんだから、みんなも聞いたらいいじゃ~ん、楽しいぞ!」っていうより、
「私こんなに頑張って聞いてるのに、なんでみんな私の話聞いてくれないの?怒」
っていう腹正しさみたいなのがあると思うんです。
ってことはですね、それだけじっくり話を聞くっていうのは難しいし疲れるし大変なんですね。
すごくストレスっていうか負荷のかかることなので、
真剣に取り組めば取り組むほど、「やっぱり無料で提供されるようなものではない」と思うんですね、
たとえるなら、
フランスでめっちゃ修行して、ようやく作れるようになった高級フレンチ料理。
良かれと思ってみんなに毎日振る舞ってるけど、
「なんでみんな食べてばっかりで自分にご飯作ってくれないの?」
って言ってるみたいな感じだと思うんですよね。
つまりすごいハイスペックな能力をみんなに無料で配ってるんですから、それは腹立ちますよね。
「相手の感情を大切にして、意見をはさまずじっくり相手が満足するまで聞きぬく」
というのは、本来は有料で提供されることなのです。
もちろん優しさとかね、義務の精神とか、他者優先の発想っていうのがあるからできることだと思うんですけど、
極論、腹立って負担になるくらいなら
無料でやってあげなくてもいいんですよっていうのはちょっと一つ伝えておきます。
腹立つくらいなら
「へぇ~」「ほぉ~」「はぁ~」「そうなの」「あ、ちょっとすみません」
で適当に流しておいていいんです。
仕事としてやる、というのは「お金をいただくプレッシャー」が発生するので、
気軽に相手の話にわりこんだり
余計な意見を口にしない
「それはこうじゃないの?」とジャッジしない
話し手の気持ちを大事にする
というふうに自分をおさえるからできる。というところもあると思うので、そう言う意味で
「ちゃんと聞いてほしい!」「安心して話したい!」というニーズにこたえるために有料の傾聴サービスというのは存在しているんじゃないかなって思っています。
日常会話だとどうしても、「いいじゃん別に私がしゃべったって」みたいな感じになったりもするし。
やっぱりお金を払うことで聞き手にも緊張感というか使命感みたいなのが湧いてくるんじゃないかなというふうに思ったりもしています。
なので
「いや別に割り込まれても大筋聞いてくれてればいいよ」
「それがコミュニケーションの楽しさじゃん」
「お金払ってまで話したいことないし」
って思う人には必要ないんじゃないかな。
逆に言えば、
「めっちゃ頑張って聞いてきたのに自分の話はガンガンわりこまれて悲しい」
「そもそも興味持って聞いてくれる人がいない」
「一人でバーッてしゃべって一度発散させたい」
「無料の日常コミュニケーションで聞いてもらうには重すぎる、長くなりすぎる」
って人はむしろ有料のほうがいいのではないでしょうか。
はい、ということで今回はなぜ傾聴が有料で提供されているのかということについて話をしてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました^^
次回は傾聴サービスがもたらす未来についてお話しします。
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