本物の「反省」ってこういうことかー

仏教で本当の反省を知った

今までは
失敗→痛い目→「どうせ私のせい」→終了

だけどお説法を聞いて
失敗→痛い目→「私の過去のどんな行動がこれを引き起こしたのか?」→「これからどうしていくべきか?」→実践

 

仏教では大前提として
「自分の過去の行動の結果が現状を作る」

善因善果 善い行いは良い結果を生み
悪因悪果 悪い行いは悪い結果を生む
自因自果 自分の行動は自分に返ってくる

ということが教えられている。

 

だから今自分の現状がどうであろうと、
それは過去の私がしてきた選択や考え方の結果である。

と。

 

今いい感じだと「そうそう、わかるわかる」と思えるけど

今最悪だなぁ…だと、とてもじゃないけど受け入れるのが難しい。

けれど事実。厳然たる事実。

 

これを受け入れるまでにかなり時間がかかっているけど、

すこしずつ受け入れられるようになって、

人を恨んだり不満を言うことがぐっと減ったように思う。

 

娘や夫が私をイラつかせているのではなく

私が私のこれまでの行動によってイラついているのだから。

 

イラつかないように行動を選ぶことは、可能だ。

だって私は人間なのだから。

 

これを納得させてくれたのは「7つの習慣」という本だ。

私たち人間には「自覚」というものがある。

 

つまり、一歩引いた眼で自分をとらえることができるのだ。

今こうしてパソコンに向かって座っている私を、部屋の片隅から眺める
そんなイメージを想像することができるのは人間だけ。

ちょっと引いた目で自分を見ると、

とんちんかんで人のせいにしがちな自分のことにも気づくことができる。

「なんてお粗末なのかしら」

そう感じて、自分を抑えることができる。

 

気づきさえすれば、行動は変えられるってこと。

 

そんなことを学んできてようやく、

本物の反省とは「これからの行動をどう変えていくか?」に視点をおくことだと知った。

誰が責められるべきかを考えることではないんだなって気づいた。

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