聞いてくれない、話下手な人。
コミュニケーションに困ってるなら知ってほしい名言があります。
それは
「人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故だろうか。それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ」
ユダヤ人のことわざだそうです。
コミュニケーション、人間関係、困ってますか?
人の話、十分に聞けてる自信、あります?
今回は私の失敗談と合わせて、
私の「聞く」ことへのこだわりを知ってもらえたらうれしいです。
私は昔、話題泥棒でした。
以前の私は、人との会話が本当にへたくそでした。
誰かとの会話、数人での話では
ピンときたらすぐ「~と言えばね!」と話しだしてしまう。
誰かが何かを話していたはずなのに、
その冠をかっさらって
ベラベラと自分の世界に入ってしまう。
マシンガンのように自分の言いたいことを相手に投げ続ける。
まわりが「えー…」「まだしゃべるの?」
という顔をしているのにも気づかずに。
そんなだったので、友達はすごく少なかったです。
クラスメイトと話していても、なんか関係性が浅くて。
一緒に過ごす友達はいても、
実際はその子にはほかにもっと親しい友達がいて、
私は「その親しい友達がいないときのサブ的な存在」
でした。
気づかない間に避けられたり嫌われたりすることがとにかく多くて。
なのに原因に自覚がないから「なんで嫌われてるんだろう?」
と謎でいっぱいでした。
(謎すぎて、自分は嫌われるような存在なんだと思っていた時期も)
でも、聞き役に徹するようになって、
以前とは比べ物にならないくらい深い人間関係が
築けるようになったんです。
そもそも聞き役になろうと思ったのは「聞いてほしかったから」
学生時代から散々人に話を聞いてもらってきたのに、
私はまだ「聞いてもらえてない」と思っていました。
きっかけは、女友達ばかりだった私に、彼氏ができてから。
女性はコミュニケーションの生き物だから、
「めんどくさいなぁ」
と思っても
なんだかんだ(手を抜きながら)
話を聞いてあげたりするってことあるじゃないですか。
けれど、男性はけっこうドライ。
ドライというか、「機能的に長話を聞けるメカニズムが整っていない」。
長時間のコミュニケーションは必要性を感じにくいし、
「聞いてますよ感」を出すのがうまくない。
だから夫は、私が何か話しても上の空。
スマホを見たり、よそ見をしたり。
それ見て私は
「なんで私の話を聞いてくれないの?!」(心の声
「私のこと好きじゃないの?!」(心の声
よくある話ですよね。
それでいつも突然ムスっとしてしまうことが多くて。
そうしたことをくりかえしているうちに、
彼(当時はもう夫)の仕事が忙しくなり、
むすくれる私のケアをする余裕もなくなり
夫婦の会話は限りなくゼロに。
このままじゃマズイ。
離婚を突き出されるかも?
離婚でなくても仮面夫婦?
私、夫に嫌われたまま生きていくの?(すぐ嫌われたと思いがち
人から嫌われることが何よりも怖い私。
このあたりから「何とかしなくちゃ」と焦り始めます。
そして出会ったのがこの言葉。
「人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故だろうか。 それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ」
正直、これ聞いて私は
「よし、聞けばいいのね」
としか思いませんでした。
あきれたことに、
「自分が話過ぎている」「相手の話を全然聞けていない」
とはつゆほども思っていなかったのです。
そして、私の「聞きトレーニング」が始まりました。
「話すより聞く」
話す3に対して聞く7
話題をうばわない
とりあえず黙れわたし。
そう意識して日々を過ごしますが、これがすでに難しい。
なんたって、「ピンときたらしゃべる」が習慣化している私。
話題を奪ってしまって一通り話し終えてから「しまった…!!!」
と思うことは何百回とありました。
久々に会った友人とランチをして、
その後一切誘われなくなったことは数知れず。
毎回かえりがけに
「あぁ。話し過ぎた」
「また話題を奪ってしまった」
そう、ひとり自分のダメさを味わう日々でした。
「聞く」の概念をぶっこわされた言葉
そんな日々を過ごしていたある日。
一冊の本との出会いが私の「聞くことに対する概念」を変えました。
それは「7つの習慣」という本の一説。
7つある成功のための習慣のうちの一つ、
「理解して理解される」の章の中の言葉です。
相手が話をしているとき「次何を話そうか」と思っているとしたら、 それはつまり相手の話を聞いていない。
…これは衝撃でした。
だって、いままで、これしかしたことなかったから。
相手の話の途中に考えずに、どうやって次の言葉をしゃべるの?
…と考えている時点で、
相手の話を聞く気がさらさらないことに気づかされたのです。
それまでの私の「聞く」は、
「ただ、黙っているだけ」
「しゃべっていないだけ」
ということに過ぎなかったんだ…。
と、思い知らされた言葉でした。
それ以降、「相手の言葉を咀嚼して、理解する」ということを念頭に、
人の話を「聞く」ことを意識するようになりました。
あとから
「あの人の言いたかったことはこういうことだった」
と説明できるくらいにきちんと聞いて落とし込む。
そんなイメージで聞くように心がけました。
すると、少しずつではあるものの
相手の言いたいこと、伝えたいこと、隠れた本音が見えるようになりました。
それまでは全く見えなかった他人の心の中が
少しずつ見えるようになり
「どうしてほしいのか」
「何を求めているのか」
がずいぶんとクリアに見えるようになりました。
ちょうど、
厚紙などでさえぎられていた景色が、ぼんやりとすりガラスになったような。
そんなかんじ。
もちろん、相手のすべてはわかりません。
けれど、「聞く」を意識できるようになって見える世界はすごく広がりました。
そしてあとは、
聞いたことをもとに「してほしいこと」をしてあげるだけ。
なんなら、聞いていた時間だけで
相手から深く感謝されることも増えました。
気づけば夫とのコミュニケーションは劇的に改善されました。
お互いの得意や苦手、物事のとらえ方にまで理解を深めあう。
すれ違いもありますが、「私たちならわかりあえる」と思える結婚7年目です。
(先日も「数字」に対する私(苦手)と夫(得意)の感じ方のちがいをココスで語り合ったところ)
大人になってからできた友人ともじっくり会話を楽しむことができるようになりました。
終わりに「聞いてくれてありがとう」と言われるおまけつきで。
たまに「聞いてくれよ」と相談(や愚痴)をしに連絡が入ることもあり
それが私の低い自己肯定感を満たしてくれます。
これが、私の「聞き観」のルーツです。
聞き役になるって、けっこうたいへんでした。
でも、得られるメリットや幸福度は、手に入れる前の自分とは比べ物になりません。
これからも、私は、
話すより聞く人。として生きていきたいと思っています。
そんな私が傾聴についていろいろ話している記事はこちらから。
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