子育ては難しい。
人生で一度しかやったことがないのもあるけど、
気にかけてやらなければならないことが多すぎる。
自分でいっぱいいっぱいなのに、子供のことまで把握するなんて無理・・・。
そんな絶望感をわりといつも抱えています。
そんな私が子育てにおいて大事にしてきた事、
ていうかもはや「唯一まともにできること」って
待つこと
だけだなって思います。
できないことができるようになるまで待つ
気が済むまで待つ
できるようになるまで責めずに待つ
あと
ネガティブな感情(泣いたり怒ったり)を許容する
っていうことはわりと得意な方だったなて思います。
他に私ができることって…ない。
ちゃんとご飯も作ってないし
娘にガンガン動画も見させてるし
「やってぇ~」って言われたらやっちゃうし
他人から見たらもう
甘やかしまくってるんですけど。。。
それを抜きにしても
じっくり待つこと、
とくに
できないことや ダメなことを許容する。
許す っていうか
「それでそのままが今のこの子なんだな」
っていうことを事実としてうけとめて
変に期待をかけたり 要求をしたりしない
っていうことは
ほかの人より熱心にやってきたな っていう風に思います。
世の中の親御さん見てると
「待てない親御さん」
ってやっぱり多いなと思うんですよね
自分のタイミングで
突然子供のやってることを
「ぶつっ」と切る、やめさせる。
「ダメ」って止めたり
他の方法をやらせたり
っていうことをしてしまうんですよね。
もちろん、よかれとおもってやっているのもわかっているけど。
でも私には、
その子がその子のペースでやりたい、やってみようと思っている気持ち、
「あ!あー!!」って興味を持った瞬間を
突然終わらせる。ように見えて。
大人のペースや大人の正しいと思うほうになかば無理やり方向転換させる
ように見えて。
そんな行為にすごくいつも違和感を覚えながら眺めています。
もちろん、当事者はそんな自覚はないんですけどね。
子供も、「ふーん」なのかもしれないけどね。
私の夫も結構そういうところがあって
例えば
娘が自分で牛乳の入ったコップを持って
自分で机に運びたいのに
主人はそれを見て
「こぼすから」って言って
それを取って持っていこうとしちゃう訳ですよ
で、娘が
「嫌だー!」
ってごねて結局こぼれるわけですよね
それ見て
「ほらこぼれたじゃん、(だから君は信用ができない)」
みたいな流れ。
(でもそれをどうこう言うわけでもない私・・・)
人間が信用できるレベルに成長するには、
ミスを繰り返しまくって、
あ、こうやってこうしたらミスしないんだなって思えるまでは仕方ないんですよね
それまでは信用されないような凡ミスばっかりを起こすのは当たり前なんですよ
だけどどうしても大人になると
子供の頃にしていたようなミスをめったにしなくなるし、
ミスしないことが当たり前になってくるから
ミスをしまくるっていう子供のあり方、それがミスしなくなるまでに必要な過程なんだってことも理解できないし
大人から見て効率的じゃない時間の使い方、物の使い方をしている
っていうことをその子に必要なことだからと我慢してみていることができないんですよね
「そのやり方は正しくないから」「効率的じゃないからこっちのやり方でやりなさい」とか
「それ従来のは規格に合ってないからこっちの方が正しい。こっちにしなさい」とか
「その判断は常識(私の価値感)に合ってないから間違っている」
みたいな感じで子供を操作したり否定する訳ですよね
そうしないと、自分の正解から外れた現状に落ち着かないから。
そういう圧迫感に負けて
子どもの自由を奪うのが本当に嫌で
私は我慢して待つ、ということを頑張ってるんだと思います。
私は実家にいた頃、
親から「本物の好きにしなさい」を与えられたことがないんですよね
どっちがいい?って聞かれても結局
私が選ぶ前からもう決まってるんですよね
「こっちにしよう、だってこっちの方がいいじゃん、そうしな」みたいな感じ。
「好きにしたらいい」
という言葉が通ったのは、
親が納得したり親の価値観に合う選択をしたときだけ。
だから苦痛でした。
親と違う価値観を持っているのに、親と同じ価値観で選択したときだけ肯定される。そうでないときは否定されるわけですから。
普段ルールを守ったり、まわりに配慮(というか気疲れ)しているぶん、
他人に影響のないことについては好きに決めたい気持ちが強かったのだと思います。
だから、個人的な選択(どこに旅行にいくかとか、何を食べるかとか、何を着るかとか)で自由を奪われることが
ぶっちゃけ嫌悪感を覚えるぐらい嫌いなんですよね
「私の人生なんだから、好きにさせてよ」って。
大人になるほど、経験を積んで成功体験が増えていくから
「これが正義、間違いない」
っていう、さも正当性のある感じでねじ伏せてしまいがちです。
これで私はうまくいったから、あなたもそうしな。うまくいくから。
そんな理屈なんですよ
でもそんなの誰にもわからないですよ。
だって、
生きていた時代がか違う
育ってきた環境がちがう
囲まれている人間関係も違う
興味や得意不得意も違う
幸せだと感じることも違う
何もかも違うのに
同じやり方で幸せになれます?
なれないですよ。
「私のやり方をすれば幸せになれます」
なんて、
他人を自己同一視しすぎなんですよ。
なのにそれに反発すると
「頑固」
「頭が固い」
「普通じゃない」
「なにもわかってない」
って否定される。
こちらが何をしたら幸せなのかなんて
知ろうともしないのに、です。
まるで自分がかけている眼鏡を
「これでよく見えるからかけてごらん」
といわれているような。
おかしいと思いません?
だけどみんな、息を吸うようにこれをするんです。
こういうの、もうやなんですよ
だから私は、
娘のあり方や娘が望むことを否定しない親でいたいのです。
そしてそれをアピールする一番の方法が
「好きにやらせて、黙って見ている」
ことだと思っています。
手を出したり口を出したら、
親として良い方向に導こうという
頼まれてもいないおせっかいが間違いなく発動します。
そして無意識に
娘のことを否定するような発言や行動をしてしまいます。
先回りしてやってあげよう精神が強い私だから、間違いなくそうなります。
普通に生きてるだけで、人は他人から何千回と否定されます。
無意識に。悪気なく。
いちいち受け止めて傷ついていれば、「メンタルが弱い」とバカにされます。(私がそうでした。)
だからせめて、娘に対して
母親である私くらいは
「何があってもあなたはあなた。大切な私の娘」
というメッセージを
姿勢で届けたいのです。
言葉でかけても行動がともなわなければ意味がなく、逆効果だと思っています。
数秒でできる薄っぺらい言葉かけより
日々の忍耐(失敗するだろうなとわかっていて黙ってみているのは本当に難しい)をするほうが
よほど娘に伝わるのではないかと信じて。
…まぁ、伝わらないと思いますけどね笑
私は私自身が親にそうしてほしかったことをしているだけなのだと思います。
結局エゴです。
でも、エゴでも、そんな自分のほうが好きだから。
これからも娘の自由を奪わない親であり続けたいと思っています。
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